月別:2021年05月
中宮寺本堂の修復と建築家吉田五十八 (日本経済新聞記事)

2021年5月20日の日本経済新聞に

「中宮寺本堂 伝統とモダンの最適解、吉田五十八が模索」

という記事が載っていました。

 

中宮寺は現存する最古の尼寺

中宮寺は聖徳太子ゆかりの現存最古の尼寺です。
飛鳥時代の創建時は東に500㍍ほど離れた場所にありましたが、室町時代に現在地に移され、江戸時代からは宮家の皇女を迎える門跡寺院となりました。

中宮寺跡は整備されイベントなどに利用しています。

 

中宮寺は法隆寺夢殿の北東角にあり、同じ敷地内で砂利を踏んで閑静な庭を進むと、ヤマブキの植え込みの中に銅ぶき屋根の勾配が見えます。

 

中宮寺本堂の再建

中宮寺本堂は、1968年故高松宮妃喜久子さまの発願で、耐震耐火を施した鉄筋コンクリート造(RC造)に建て替えられました。

その設計を任されたのが、近代数寄屋建築の名手、吉田五十八でした。

 

本堂は浅い池に囲まれ、水の中から伸びる円柱が深い軒を支えています。

平安時代の寝殿伽藍を模し、浮御堂をイメージしてつくられました。

 

しかし、建設から半世紀余りがたち、2020年秋から老朽化した柱などの修復を行っており、2021年春、竣工当時の優雅なたたずまいが蘇りました。

 

中宮寺本堂を建てた吉田五十八とは?

1894年、「太田胃散」の創業者、太田信義の第8子として東京日本橋に生まれました。

東京美術学校(現在の東京芸術大学)で建築を学び、卒業後、ドイツの新しい建築をじかに見ようと欧米へ外遊しました。

そんな吉田五十八が衝撃が受けたのは新建築ではなくイタリアの初期ルネサンス建築でした。

 

「そこで生まれ、そこの血をうけた人間でなければ建てられない建築がある」と痛感した吉田五十八は、帰国後、若い建築家がこぞって近代建築に向かう潮流の中で日本建築の革新を志します。

 

「いまの日本建築は、ただ祖先の遺産にすぎない。それを、自分の資産に引き戻さなければならない。いままでの伝統的日本建築に近代性を与えることによって、新しい感覚の日本建築が生まれるに違いない」(「数寄屋十話」)

 

「古来からの枡組(ますぐみ)建築から脱却し、できる限り簡素化したなかに、皇室の寺院としての格調をただよわした御堂にした」。

竣工当時、吉田は建築誌にそう書き残しています。

 

吉田五十八の建築作品

1970年の大阪万博の松下館

中宮寺本堂を真似て作られた。

中宮寺の写真をみた松下幸之助が吉田に設計を依頼しました。

大和文華館

・岩波書店の創業者、岩波茂雄が熱海に建てた「惜櫟(せきれき)荘」

・東京・築地の料亭新喜楽

 

中宮寺本堂の修復費用はクラウドファンディング

本堂は文化財に指定されていないため、国や自治体から修復の補助金が出ず、費用は日本経済新聞社運営クラウドファンディング(約1,000万円)や寄付で集めました。

 

朱色だった外壁や柱は竣工時の写真などを確認しながら茶系の落ち着いた色合いに復原され、杉板に和紙を貼った内陣の壁も新しくなりました。

 

修復を請け負った大林組は「RC造ながら、自然の空気の流れを利用した換気システムを採用するなど数寄屋造りを現代によみがえらせた建物です。随所に吉田五十八のこだわりが感じられます」と言っています。

 

日本経済新聞より引用

斑鳩町に虹がでた

2021年5月22日(土)午後6時30分頃

 

斑鳩町にが出ました。

 

今日は、午前中は晴れており、午後から雲が出始め

夕方から雨が降り出しました。

 

2時間程度で雨が上がり、西の方が夕焼けに染まる時

東の方角に虹が出ました。

 

きれいなアーチでした。

カテゴリー
タグ

いかるがパークウェイ

 

ローソン斑鳩小吉田二丁目店

 

が、オープンします。

 

 

 

開店日:2021年6月1日(火)

 

開店時間:分かり次第掲載

 

パート・アルバイトを募集中です。

時給 850円以上
06:00-09:00 時給 900円
09:00-15:00 時給 850円
15:00-18:00 時給 850円
18:00-22:00 時給 850円
22:00-06:00 時給 850円 / 深夜 時給 1,068円

宮城県仙台市青葉区の

「東北大学片平キャンパス西側の一角

「第二高等学校片平記念苑(えん)」

(河北新聞より引用)

中宮寺の国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)

真似た観音像が佇んでいます。

(2022年8月移転)

 

(東北大学粟野観音像)     (中宮寺国宝菩薩半跏像)

(※:画像は、東北大学萩友会HP、中宮寺HPより引用)

 

2021年5月5日の日経新聞に

「東北大に観音像が立っているワケ」

という記事が載っていました。

斑鳩町に関係するので取り上げてみました。

 

関西に住んでいる者にとっては、東北大学はなじみが薄いのですが、

日本では「東京大学」「京都大学」に次ぎ3番目に出来た帝国大学です。

正に、日本のトップ3の大学です。

 

なぜ、東北大学に中宮寺の国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)にそっくりな観音像があるのでしょうか?

 

建立されたのは1935年と古く、今から約90年位前に建てられています。

この像は通称「粟野観音」と呼ばれ、かつてここにあった旧制二高(現東北大)の名物教授、粟野健次郎氏の退官記念の像だそうだ。

 

本来は、本人の銅像を建てようとしましたが、粟野先生が固辞し、代わりに観音像を建てたそうです。

 

粟野さんは、英語学の第一人者で、夏目漱石の小説「三四郎」の広田先生のモデルとされ、卓越した学識と、世俗を超越した人物像の持ち主として語り継がれています。

 

詳しくは、下記サイトに詳しく記載されています。

⇒ 粟野健次郎顕彰会

 

この像には、次のような碑文が書かれています。

「この観音像は二高名誉教授粟野健次郎先生の記念像である。先生は元治元年一関藩士の家に生まれ、明治二十年弱冠二十三歳で新設の第一高等中学校教授に任ぜられ、ついで明治二十五年第二高等中学校教授に迎えられた。爾来昭和七年に至るまで実に四十一年の長きにわたって、一路二高で英語を教え、その間無類の学識、卓抜な警句、超俗の風格をもって幾千の二高生を傾倒せしめ、全二高生の敬慕の的であった。先生の致仕に際し、同窓会員は先生の肖像を造ってその功績を長く後世に顕彰しようとしたが、世の名聞に恬淡たる先生は自己の像を遺すことを許されなかった。よって知識と慈愛の権化たる観音像をもってこれに代えることにし、帝展審査員国方林三に嘱して、中宮寺如意輪観音を模した観音像を造って校庭に安置した。台石には荒巻山屋敷産の重量一万貫の巨石を選び、二高の校風である雄大剛健の意をあらわした。二高生はこれを粟野観音と愛称、朝夕先生を偲んだ。戦後二高の三神峯移転、教養部の川内移転に伴って三神峯、川内に移されたが、昭和五十三年十月最初の位置に復した。」

 

 

私が、興味を引いたのは、光背裏面に書かれている

「以和為貴」

の文字です。

(画像は、東北大学萩友会HPより引用)

 

これは、聖徳太子の十七条憲法第一条の

「一に曰く、和を以て貴しと為し=以和為貴

です。

中宮寺は、聖徳太子ゆかりのお寺です。

その、聖徳太子の教えを光背に書かれているのはうれしい気持ちになります。

 

この通称「粟野観音」ですが、東北大学雨宮キャンパスの移転で存続が危ぶまれていました、二高の建学の地である現在の東北大学片平キャンパスへの移設が検討されているそうです。

 

(画像、本文は、東北大学萩友会HP、粟野健次郎顕彰会HPより引用)

 

<関連記事>

河北新聞2023年5月6日記事