宮城県仙台市青葉区の

「東北大学片平キャンパス西側の一角

「第二高等学校片平記念苑(えん)」

(河北新聞より引用)

中宮寺の国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)

真似た観音像が佇んでいます。

(2022年8月移転)

 

(東北大学粟野観音像)     (中宮寺国宝菩薩半跏像)

(※:画像は、東北大学萩友会HP、中宮寺HPより引用)

 

2021年5月5日の日経新聞に

「東北大に観音像が立っているワケ」

という記事が載っていました。

斑鳩町に関係するので取り上げてみました。

 

関西に住んでいる者にとっては、東北大学はなじみが薄いのですが、

日本では「東京大学」「京都大学」に次ぎ3番目に出来た帝国大学です。

正に、日本のトップ3の大学です。

 

なぜ、東北大学に中宮寺の国宝 菩薩半跏像(伝如意輪観音)にそっくりな観音像があるのでしょうか?

 

建立されたのは1935年と古く、今から約90年位前に建てられています。

この像は通称「粟野観音」と呼ばれ、かつてここにあった旧制二高(現東北大)の名物教授、粟野健次郎氏の退官記念の像だそうだ。

 

本来は、本人の銅像を建てようとしましたが、粟野先生が固辞し、代わりに観音像を建てたそうです。

 

粟野さんは、英語学の第一人者で、夏目漱石の小説「三四郎」の広田先生のモデルとされ、卓越した学識と、世俗を超越した人物像の持ち主として語り継がれています。

 

詳しくは、下記サイトに詳しく記載されています。

⇒ 粟野健次郎顕彰会

 

この像には、次のような碑文が書かれています。

「この観音像は二高名誉教授粟野健次郎先生の記念像である。先生は元治元年一関藩士の家に生まれ、明治二十年弱冠二十三歳で新設の第一高等中学校教授に任ぜられ、ついで明治二十五年第二高等中学校教授に迎えられた。爾来昭和七年に至るまで実に四十一年の長きにわたって、一路二高で英語を教え、その間無類の学識、卓抜な警句、超俗の風格をもって幾千の二高生を傾倒せしめ、全二高生の敬慕の的であった。先生の致仕に際し、同窓会員は先生の肖像を造ってその功績を長く後世に顕彰しようとしたが、世の名聞に恬淡たる先生は自己の像を遺すことを許されなかった。よって知識と慈愛の権化たる観音像をもってこれに代えることにし、帝展審査員国方林三に嘱して、中宮寺如意輪観音を模した観音像を造って校庭に安置した。台石には荒巻山屋敷産の重量一万貫の巨石を選び、二高の校風である雄大剛健の意をあらわした。二高生はこれを粟野観音と愛称、朝夕先生を偲んだ。戦後二高の三神峯移転、教養部の川内移転に伴って三神峯、川内に移されたが、昭和五十三年十月最初の位置に復した。」

 

 

私が、興味を引いたのは、光背裏面に書かれている

「以和為貴」

の文字です。

(画像は、東北大学萩友会HPより引用)

 

これは、聖徳太子の十七条憲法第一条の

「一に曰く、和を以て貴しと為し=以和為貴

です。

中宮寺は、聖徳太子ゆかりのお寺です。

その、聖徳太子の教えを光背に書かれているのはうれしい気持ちになります。

 

この通称「粟野観音」ですが、東北大学雨宮キャンパスの移転で存続が危ぶまれていました、二高の建学の地である現在の東北大学片平キャンパスへの移設が検討されているそうです。

 

(画像、本文は、東北大学萩友会HP、粟野健次郎顕彰会HPより引用)

 

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河北新聞2023年5月6日記事