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法隆寺南大門(参道)近くの駐車場

法隆寺は五重塔、金堂のある”西院伽藍”、夢殿の”東院伽藍”に分かれています。

通常の参拝ルートは

法隆寺南大門

五重塔、金堂

大宝蔵院

夢殿

中宮寺

の順に参拝します。

 

一番最初の法隆寺南大門前の駐車場です。

法隆寺南大門前駐車場(法隆寺参道)

1.法隆寺観光自動車駐車場

2.法隆寺参拝者駐車場いかるが

3.法隆寺門前芳庵駐車場

4.門前の土産物屋さんの駐車場

  太子堂、かどや、松本屋

 

 

【生中継】聖徳太子1400年遠忌法要を朝日新聞デジタルが動画でライブ配信

法隆寺の聖徳太子1400年御遠忌法要を、

朝日新聞デジタルが協力して、”動画でライブ配信”をします。

 

視聴先はこちらです。⇒ 朝日新聞デジタル

 

西院伽藍大講堂前で執り行われる勤行や舞楽の様子を、会場外からでもパソコンやスマートフォンを使って視聴可能になります。

 

100年前の1300年御遠忌はこんなに密になってました。

 

西院伽藍へ入れるかどうかは、3月29日付の法隆寺のHPでは、

 

「西院伽藍内で法要のご参拝いただくスペースがあまりなく、多くの方がお越しになった場合は、感染防止のため入場制限をさせていただきます。」

 

となっており、完全に入れないとは記載されていません。

法隆寺HPで最新情報を取得して下さい。

法隆寺HPはこちらで ⇒ 聖徳宗総本山 法隆寺

 

主な行事内容

4月3日午後0時半ごろ

行列が東院伽藍(がらん)を出発。

太子七歳像と南無仏舎利を大講堂へ移す。

法要では中宮寺や斑鳩寺(兵庫県太子町)などゆかりの寺の僧が読経する。

 

・4月4日午後1時ごろ 大講堂前

東大寺や興福寺、薬師寺など奈良の大寺院の僧が読経する。

 

・4月5日午後1時ごろ、大講堂前

法隆寺の僧らが読経する。

 

法要後、行列を組み、太子七歳像と南無仏舎利を東院伽藍に戻す。

 

行列後の舞台で、ダウン症の書家として知られる金澤翔子さんが揮毫(きごう)する。

 

その他に、当日は境内にてQRコードをスキャンして、見ることもできるようです。

【ライブ配信】法隆寺聖徳太子1400年御遠忌法要(御聖諱法要)

2021年㋃3日(土)~5日(月)まで、法隆寺では

 

聖徳太子1400年御聖諱法要

 

行われます。

 

しかし、西院伽藍内への入場は出来ません。

 

そこで、動画で生ライブ配信が下記で行われます。

 

生ライブ配信先⇒ 朝日デジタル

100年前の1300年御遠忌は、渋沢栄一の尽力で大成功!

100年に一度の聖徳太子1400年御遠忌法要が2021年4月3日~5日にかけて行われます。

 

奈良県や斑鳩町にとっては観光客を呼び込む大イベントの予定でしたが、コロナの影響で大々的なPRが出来ない状況です。

 

100年前の1300年御遠忌はどうだったのでしょうか?

 

この時の様子を3月26日付けの朝日新聞デジタルに掲載されています。
⇒ 今こそ知りたい聖徳太子 1400年遠忌を前に

 

<記事から抜粋すると>

1300年御遠忌は、1921年(大正10年)に行われました。

当時の法隆寺は財政難で苦労をしていた。

 

その窮地に協力したのが、NHKの大河ドラマの主人公で、新1万円札の肖像になる

渋沢栄一

だった。
聖徳太子も1万円札の肖像になっていたので縁があったのかもしれない。

 

まず、

・1918年(大正7年)奉賛会設立。

・上皇さまの祖父の久邇宮邦彦(くにのみやくによし)を総裁に。

・紀伊徳川家15代当主の徳川頼倫(よりみち)を会長に。

・渋沢栄一は副会長に。

 

これにより、聖徳太子1300年御遠忌は国を挙げてのイベントとなった。

法要は4月11~17日の1週間にわたり、皇室をはじめ、当時の原敬首相も参列した。

参拝者は約26万人に上ったという。

当時は、名古屋から関西本線で法隆寺に行く方法が主流だった。

朝5時に出る汽車がすぐに満員になったそうだ。

 

1300年御遠忌により法隆寺の存在が重要視され、

1934年(昭和9年)に法隆寺を国として守っていく法隆寺国宝保存事業部を設けた。

 

今年の1400年御遠忌は厳かに粛々と開催されるだろう。

 

1300年御遠忌の写真展は、法隆寺iセンターで開催中です。